白樺湖の歴史年表(昭和史)

西暦 和暦 白樺湖 日本と世界
1938 昭和13年 温泉溜池建設を目的に池の平耕地整理組合設立
1940 15年 3月 北山村他三か村水利改良事業温水溜池として国庫補助県営で着工
1941 16年 12月8日 真珠湾攻撃:日米開戦
1944 19年 戦争のため資材・労力・資金を使い果たして工事中止
柏原区農地整理組合により工事再開
1945 20年 8月15日 敗戦
1946 21年 2月 全区民一丸の努力により完工して湖誕生
知事により蓼科大池と命名
1949 24年 諏訪バス・茅野駅より1日1往復開通。翌年2往復となる。
貸馬業始まる(1時間50円)
10月1日 中華人民共和国成立
1950 25年 6月25日 この頃より蓼科大池白樺湖となる 朝鮮戦争始まる
1951 26年 スケートリンク造り始まる
1952 27年 白樺湖観光協会創立 貸馬組合発足
国鉄バス・丸子側よりの乗り入れ開始
1953 28年 白樺湖旅館組合設立
旅館、ヒュッテ、バンガロー相次いで開業(年間定住者10軒程度)
亀屋ホテル開業
1954 29年 8月 排水設備破損による湖水の干上がりを機に御座岩遺跡発掘、縄文土器等出土
10月 無線電話が土地改良区事務所(ボートハウス)に通じる(回線2本)
西白樺湖にポスト開設(郵便物の集配はここまで)
西白樺湖駐車場県営着工
1955 30年 2月 9町村合併し茅野町発足
7月31日 柏原農協により柏原より施設送電線施工、電気導入
千曲バス・小諸−白樺湖間開通
3月15日 国鉄バス・小諸・蓼科牧場−白樺湖間開通
1956 31年 境界変更により立科町の一部が茅野町に移管され現状となる。
これ以前の住民10名で草分け会結成
スケートのメッカとして選手、強化合宿全盛
1957 32年 6月26日
 〜28日
三笠宮崇仁親王殿下遺跡発掘
1958 33年 1月1日 各施設に支線電話機入る
6月16日
 〜18日
三笠宮崇仁親王殿下、再度遺跡発掘
11月 茅野市制施行
1959 34年 定住者による上水道組合設立
7月 郵便各戸配達開始
1960 35年 中部電力直営となり電気事情向上
10月 白樺湖観光開発会社設立、1号リフト(450m)建設
衛生自治会発足
警備団結成
1961 36年 7月 普通電話架設される
グラウンド着工
上水道組合移管し市営水道に
1964 39年 5月10日 鈴蘭峠経由ビーナスライン白樺湖線開通
白樺湖消防部新設
5月13日 八子ヶ峰で全国植樹祭 天皇皇后両陛下御来臨
6月 八ヶ岳中信高原国定公園指定
10月10日 東京オリンピック開幕
東海道新幹線開通
1966 41年 湖の汚染次第に進む
12月12日 茅野駅に特急あずさ停車となる
1967 42年 諏訪警察署白樺湖出張所開設
交通安全協会発足
簡易郵便局開設
1968 43年 郵便普通配達となる
7月 ビーナスライン強清水まで開通
1970 45年 3月 日本万国博覧会開催(大阪)
5月 白樺湖浄化対策協議会設立
車山地区が観光協会に加入
1973 48年 10月 オイルショック
1974 49年 観光協会 任期無期限の下水道特別推進委員決定
各方面への陳情を繰り返す
1975 50年 特定環境保全公共下水道指定の採択を得る
1月 茅野市・立科町にて一部事務組合白樺湖下水道組合設立
車山地区独立して車山観光協会に
11月26日 白樺湖下水道受益業者の会設立(旅館中心に50軒)
1976 51年 1月 柏原の行政区と財産区を分離し柏原財産区発足
3月13日 全国湖沼中第1号として下水道法による事業認可
7月 マスタープラン費用負担に伴い、全国通例の土地面積割から
借地面積割30%建物面積割70%を打ち出す(後の白樺湖方式)
柏原区より浄化センター用地買収、幹線着工
1977 52年 下水処理場、中継ポンプ場、水処理施設、コンポスト等逐次着工(6ヵ年計画)
1978 53年 白樺湖区発足
1980 55年 アオコ大発生、汚染対策委員会を緊急設置
下水道試運転開始
1981 56年 1月 汚染対策委員会を浄化対策委員会に改める
3月 下水道共用開始
中央自動車道諏訪ルート開通
4月 ビーナスライン美ヶ原まで全線開通
1982 57年 4月 皇太子・同妃殿下(現天皇皇后両陛下)育樹祭に御来白
7月 水質浄化のための噴水竣工
1984 59年 環境庁、下水道事業団等、各方面からの視察頻繁
1988 63年 白樺湖大橋開通
1989 64年 1月7日 昭和天皇逝去、平成に改号
1990 平成2年 6月6日 温泉探査事業発注
1992 4年 温泉発掘に成功、翌年白樺湖ビーナス温泉オープン

参考資料:白樺湖と下水道のあゆみ 1990年9月15日 白樺湖下水道受益者会 発行